家系ラーメン総本山でお馴染みの「吉村家」で修業を積んだ石川聡(いしかわ・さとし)さんが亡くなっている!?という噂が飛び交っています。
結婚した美人嫁・美智子さんとの離婚話も出てきている石川聡さんの近況が気になるところですよね。
今回は石川聡さんの亡くなっていた説が本当かどうかなど、現在の状況を徹底リサーチしましたので、どうぞご覧ください。
吉村家の石川聡は何者?
家系ラーメンの生みの親・吉村家の中で勤務していた石川聡さん。
若い頃からラーメン屋で働いていたわけではない石川聡さんは、アラフォー世代で脱サラして吉村家の門を叩いた異色の存在として知られています。
吉村家での活躍っぷりはもちろん、独立して杉田家をオープンさせるなど、石川聡さんの経歴を振り返っていきましょう。
石川さんが吉村家に入るまで
石川聡さんは元々一般企業でサラリーマンをしていました。
しかし、37歳の年齢で一念発起してラーメン総本山・吉村家に入ることになったのです。
- 大企業の営業職として働いていた
- 同僚から絶大な信頼を置かれていた人望の厚いタイプ
- 退職時には盛大な送別会が開催された
ネクタイ姿も似合っている石川聡さんは大規模の企業で勤務していたようですが、どこの会社なのかは分かりませんでした。
ただ、退職時に盛大な送別会を開催してもらうなど、会社の同僚から尊敬されていたのは明らかですから、サラリーマン時代から活躍していたのは間違いないでしょうね。
吉村家での修行時代
年齢37歳で脱サラした石川聡さんでしたが、吉村家での修行は想像を絶するレベルだったそうです。
- ラーメン屋でのバイト経験もないまま吉村家に入ることを決意
- 1500万円用意することが修行するための絶対条件
- 修行の期間は6ヶ月
- 店内が営業中でも容赦ない罵声が飛び交う
- ミスした時は殴られたことも
1500万円という高い授業料を用意した上で吉村家での修行を開始した石川聡さん。
吉村家は尋常じゃない厳しさだったようで、現代のパワハラのレベルをはるかに上回る振る舞いをされてしまったとのこと。
物理的に攻撃されるだけでなく、厳しい言葉を浴びせられる日々を6ヶ月間耐え抜き、石川聡さんは独立へのきっかけをつかむのでした。
杉田家をオープン
吉村家での修行を無事に終えた後、1999年9月に「杉田家」というラーメン屋をオープンさせます。
- 修行仲間の津村進と共に「杉田家」をオープンさせる
- 津村進は東京大学出身の高学歴
- 脱サラからラーメン屋転身という経緯は津村進とそっくり
- 石川聡夫婦、津村進夫婦の4名で店を切り盛り
- 杉田家は吉村家の新杉田駅前店跡地の向かいに立地していた
脱サラ組の津村進さんと一緒に「杉田家」を始動した石川聡さん。
吉村家の創業者・吉村実さんから全幅の信頼を置かれていたこともあり、退店した吉村家・新杉田駅前店の向かいの場所に独立後の出店許可を得ていました。
オープンさせたばかりで資金面の余裕がなかったため、杉田家は石川聡さんと嫁・美智子さんだけでなく、津村進さん夫妻の4名だけで切り盛りすることに。
でも、杉田家の奮闘っぷりがテレビ番組で特集されていたため、現在でも「伝説のラーメン屋」として語り継がれることになったのです。
吉村家の直系店「環2家」時代
杉田家オープンから約1年後の2000年12月、石川聡さんは鶴巻孝平さんがオープンされた「環2家」でも働き始めます。
- 杉田家の共同オーナーでありながら、環2家の厨房にも立っていた
- 津村進との関係悪化が表面化していた
- なぜ環2家でも働き始めたのかは不明
自身のルーツでもある吉村家の直系店として誕生した「環2家」の手伝いをする機会が多くなった石川聡さん。
ただ、杉田家の共同経営者だった津村進さんとの関係悪化が表面化し始めた時期だったため、石川聡さんは当時から移籍を視野に入れていたのでしょう。
金銭面のトラブルが報じられたことがないので、石川聡さんと津村進さんとの間で方向性の違いが生じ、次第に仲が悪くなったという感じなのかもしれません。
ときわ家開店で独立
「環2家」の手伝いの件で旗色が悪くなった石川聡さん。
杉田家の共同経営者を辞めて「ときわ家」という新しいラーメン屋を開店させます。
東京都町田市に第1号店を2001年にオープンさせ、4年後の2005年には「ときわ家 帝京大学前店」を出店するなど、順調なラーメン屋人生を過ごしていたかのように思えました。
しかし、2011年に「ときわ家」の2つの店舗を手放してしまい、石川聡さんは消息不明になってしまったのです。
ときわ家の閉店とその理由は?
ときわ家の閉店理由は「吉村家からの破門」「独自路線の失敗」「資金繰り悪化」の3つと予想しました。
- 吉村家御用達の太麺(酒井製麺)を使えなくなった
- 自家製麺でラーメン屋作りしたが、独自路線は失敗
- 吉村家を破門されたから自家製麵にするしかなかった?と噂に
- ときわ家はスープの味の評判が悪く、口コミで批判殺到
- 独自路線の失敗の影響で資金繰り悪化して閉店へ
石川聡さんの足取りがつかめない状況なので、どんな理由でときわ家を閉店させたのかは分かっていません。
でも、順風満帆な道のりではなかったのは確定していて、吉村家御用達の太麺を使えず、スープ開発に失敗した結果、経営難に陥ったようですね。
石川聡と美智子は離婚した?
石川聡さんと結婚した5歳年下の妻・美智子さんが離婚したかどうかの確認は取れていません。
1999年に杉田家がテレビで特集された際、嫁・美智子さんの顔画像が映っていて、「美人すぎる!」と話題になっていましたよね。
脱サラしても夫を健気に支えていた美智子さんですから、余程のことがない限り、石川聡さんと離婚することはないのでは?と予想しています。
ただ、2人の子供(いずれも男の子)が生まれたのに「ときわ家」が閉店して資金難に陥ったのは事実ですから、離婚していても不思議ではありません。
消息不明になってしまったので、色々な噂が出てしまうのは仕方ないですが、現在も妻・美智子さんと夫婦二人三脚で仲睦まじい暮らしをしていると信じたいです。
石川聡が亡くなった噂の真相
4人家族の父親だと分かっている石川聡さんが亡くなった?という噂が出回っていますけど、真相は不明です。
でも、2016年11月頃のネット掲示板にて、石川聡さんが大きな病気を克服した?という気になる情報が掲載されていました。
ご近所さんからのタレコミ情報ですが、石川聡さんは生死をさまようような病気を経験したものの、現在は素敵な奥さんと一緒にひっそりと暮らしているみたいです。
難しい病気が判明したから、独立店舗のときわ家を閉店させた可能性がある一方、ラーメン屋が上手くいかずに心身共に疲弊した結果、重い病気を患った可能性もありますよね。
どちらにしろ、現在の石川聡さんは病気を克服して元気に生活しているようなので、一安心しました。
石川聡の現在は3つの可能性
病気を経験した石川聡さんの現在は「独立して新しいラーメン店を経営説」「寿司屋を開業説」「サラリーマンに戻った説」の3つの可能性が浮上しています。
杉田家で一世風靡したのに、一時は消息不明になってしまった石川聡さんの近況を知りたがっているファンもたくさんいるので、分かる限りの情報を整理していきましょう。
独立して新しいラーメン店を経営説
吉村家で厳しい修行を積み、杉田家やときわ家で一世風靡した石川聡さんですから、独立して新しいラーメン店を経営していても不思議ないですよね。
ただ、石川聡さん単独で新しいラーメン店を経営していたら、すぐにバレるでしょうし、消息不明の噂も出ていないはずです。
新しいラーメン店を経営しているけれど、杉田家の時と同様に、気心の知れた人と一緒に共同オーナーを務めている可能性も十分あるのではないでしょうか。
寿司屋を開業説
ときわ家を閉店したタイミングでラーメン店経営の道をすっぱり諦め、寿司屋など別ジャンルのお店を開業した?という噂も出ています。
職人気質の強い石川聡さんなので、美味しさをとことん追及していく必要がある寿司屋はピッタリの仕事ですよね。
吉村家の厳しい修行を乗り切った石川聡さんだったら、寿司屋の下積みもあっさりこなすでしょうし、負けん気の強さで新しい寿司屋を開業させているかもしれません。
サラリーマンに戻った説
37歳まで大企業の営業職をしていた石川聡さんですから、サラリーマンに出戻りした可能性も浮上しています。
ラーメン店の元経営者ですし、前のサラリーマン時代の実績を踏まえれば、転職も難しくはないでしょう。
ときわ家で経営難に陥った反省を活かし、安定した収入が見込める会社員であれば、妻・美智子さんも再就職先として納得するはずなので、サラリーマン出戻り説もかなり有力になっています。
まとめ
今回は吉村家出身の元ラーメン店経営者・石川聡さんに関する噂を検証しました。
・37歳の年齢で家系ラーメンの吉村家に弟子入り
・同志の津村進との方向性の違いで「杉田家」からの独立を決意
・「ときわ家」をオープンしたが、2011年に閉店
・妻の美智子と離婚した形跡はないが、大病したと噂に
・亡くなってはいないものの、現在の職業は不明
以上の5点が石川聡さんの現在の状況です。
ときわ家を閉店した2011年以降、消息がつかめていない石川聡さんですが、病気を経験した可能性が高く、壮絶な人生を歩んでいるのは間違いありません。